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2006.03.06 トルコライス
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「晴れたらイイねッ!Let`sコミミ隊」(2006年3月5日放送より)

フジテレビ、毎週、日曜日、7時00分~7時30分に放送している30分番組です。
2006年3月5日(日)放送の第579回「深沢隊長の世界の麺シリーズ(3)長崎名物ちゃんぽんを究める!」
出演は隊長、深沢邦之さん(Take2)、隊員、政井マヤ (フジテレビアナウンサー)、隊員、斉藤舞子(フジテレビアナウンサー)。

番組構成内容
(1)ちゃんぽんの語源 (2)豪華食材、ゲット! (3)歳をとっても、勉強、勉強!

「今回コミミ隊は、ちゃんぽん発祥の地・長崎で真のちゃんぽんを究める!地元の人気店をハシゴ! 本場の味を食い尽くす! 長崎中をめぐって、今が旬の新鮮高級食材を厳選します!! 誰も見たことがない、長崎名物てんこ盛りのちゃんぽんの味とは!? 深沢隊長の世界の麺シリーズ、長崎ちゃんぽん! 果たして、どんな究極オリジナルちゃんぽんが出来上がったのかー!??(フジテレビ「晴れたらイイねッ!Let`sコミミ隊」公式HPより引用)」

※番組の詳しい内容はフジテレビ「晴れたらイイねッ!Let`sコミミ隊」公式HPをご参照ください。

今回の企画「ちゃんぽん発祥の地・長崎で真のちゃんぽんを究める!」を受けて
そのエキゾチックタウン「長崎」には「まだ不思議な食べ物がいっぱい」ということで、今回の「日本全国B級グルメ」は、長崎が発祥の地と言われる「トルコライス」についてお話してみたいと思います。

この「トルコライス」の起源については、諸説あり、筆者も出来る限り調査いたしました。
また、日々、進化を遂げる「トルコライス」を現在も精力的に取材されています「トルコライス マニアック」の神崎 貴彦さんにもご意見を伺いました。
 まずは、「トルコライス マニアック」神崎氏の「トルコライス」の基礎知識から

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昔のスタイルを守っている「レストラン金子のトルコライス」(1,000円・コーヒー付)

トルコライスとは?
「トルコライス」という料理を知っていますか?楕円形、または円形の皿(プレート)の上に、下記の物を盛った料理の事です。

1.ドライカレー(またはピラフ・チャーハン)
2.トンカツ(またはチキンカツ等の肉)
3.スパゲティ(ナポリタンである事が多い)
(4.場合によってはコレにサラダが付く)

(トルコライス マニアック」より引用)

ここからは、筆者の推測と仮説です。

「トルコライス」の起源と名称の由来について

諸説ありますが、「ビストロ・ボルドー」のHP、マスターの娘さんの証言から

マスターが、神戸の米軍将校クラブ「シルバーダラ」に勤めている頃に考案されたもので
(1)「冷ご飯を焼き飯にして出すのに外人さんの手前、トルコ国の「ピラウ」炊き込みサフランピラプに似せて考案した料理」
(2)「次におかずが欲しいとの事で「スパゲティー」と「とんかつ」を添えて出した。」

と述べておられるように「トルコライス(風)」の起源と名称の由来はここから来たのではないでしょうか?

(1)諸説ある中で、「長崎説」、「神戸説」起源はどちらか?
 神戸が発祥の地という説は、当時の米軍将校クラブ「シルバーダラ」がどのように存在していたのか不明ですが、考案者の「ビストロ・ボルドー」のマスターがそこに勤務していたことは事実であり、そのレシピを当時の同僚または親交のあった神戸の料理人に伝授していればメニューとして存在している可能性はあります。
 しかし、「マスターが昭和33年に長崎に来て軽食喫茶「仔馬」(諸説ある名称だと喫茶レストラン「メーソン仔馬」オーナー北原路子氏)に勤めていた頃、「レストラン丸善」のチーフ、松原氏と友達になり、松原氏が入院中に経営者に「面白い料理は無いか?」と聴かれて「トルコライス」を教えたのが始まり。」と書かれているので、その可能性は極めて低いと考えます。(「ビストロ・ボルドー」のマスターが長崎に来てからの勤務先、小江原病院調理・軽食喫茶「仔馬」・ステーキハウス「泉」・レストラン「マルゼン」・結婚式場「ロイヤル」・レストラン「アルペン」)
 その後、松原氏が退院され、「レストラン丸善」のメニューに「トルコライス(風)」が載ることになりますが、当時、出されていたものとは「ドライカレーとスパゲティーが半分づつに成り、とんかつが一枚載せられ、カクテルソースとデミグラスソースか掛けられたもの。」でした。
 確認できませんでしたが、「ビストロ・ボルドー」のマスターがレストラン「マルゼン」に勤務していたことが事実であれば、この時に長崎での「トルコライス」の原型が完成した可能性はあります。

(2)「トルコライス」なのにトンカツを使っていること
 また、特徴的なのは、日本に入ってきた西洋料理が、牛肉やヒツジの肉を使うのに対して、この「トルコライス」は日本風にアレンジしたときに、比較的、癖のなかった「豚肉」に代用されていった経緯があります。その背景は文献(注1)からも「さすが長崎の豚肉は江戸の豚肉とは大いに異なり美味にして柔らかなり」「中国、オランダ人のために豚を土地の人達が長年飼育に勤めたからであろう」とあるように、長崎では、古くから養豚技術が発達していて良質の豚肉が入手できたことにあります。
このことが、「トルコライス」にトンカツがのっていた所以ではないでしょうか。

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原型と言われている「ビストロ・ボルドーのトルコ(風)ライス」(1,050円)

 確かに、「トルコライス」は長崎の地で進化を遂げた食べ物であり、それぞれが融合しあうことにより日々成長を遂げていったのでしょう。これ以上の詮索はかえって「野暮」かもしれません。
 今ではポピュラーな食べ物となっていますが、分類としては何になるのか?「洋食」それとの「軽食」いや「長崎の郷土料理」か?西洋と日本が癒合した「食べ物」か。今では「喫茶店」「洋食屋」「レストラン」「弁当屋」を問わず、どのお店でもメニューに必ず載っています。
 まさに、エキゾチックタウン「長崎」で誕生したというだけあって謎に包まれた「食べ物」でした。

 内容は筆者の推測と仮説によるものです。神崎氏によれば、今だ「トルコライスの発祥・由来に関しては、ハッキリとした証拠が見つかっていない。」「最も有力だと言われているボルドーのマスター説も、松原さんがそのように言っている所を私は聞いた事がありません。」とのこと。定説となる「起源と名称の由来」は不明のままです。

(注1)
「株式会社みろく屋」の通信販売誌「味彩」の長崎開港物語「長崎料理ここに始まる」(長崎純心大学、長崎学研究所 越中哲也氏)より一部、引用しました。

掲載しています写真は「トルコライス マニアック」(神崎 貴彦)氏より許可を頂いております。また、貴重なご意見を頂きまして大変感謝しております。

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「日本全国B級グルメ」
日本の食糧問題を真剣に考えつつも、「B級グルメ」に関しては興味が尽きないテレビマンです。
2006年2月19日(日)に日本テレビで放送された「激うま爆裂!史上最強 衝撃どんぶり99連発」の中でも紹介されていました「カツ丼」について少しお話ししてみたいと思います。
テレビマンの生まれ育った故郷は、「カツ丼」と言えば「玉ねぎとトンカツを割り下で煮て、溶き卵でとじたものである。」でした。
ひとくちに「カツ丼」と言っても日本全国には「色々な種類が存在する。」と知るまでには時間が掛かりました。

それでは、まずは、カツ丼の種類から
現在、確認されている種類としては5種類あるとされています。(その他、少しアレンジされたものがあるかもしれません。情報がありましたら筆者まで)
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一般的な「卵とじカツ丼」

(1)「卵とじカツ丼」(一番ポピュラーで全国に分布)
(2)「ソースカツ丼」(福井県、長野県駒ヶ根市、群馬県など)
(3)「味噌カツ丼」(愛知県名古屋市など)
(4)「ドミグラス(デミグラス)ソースカツ丼」(岡山県の独特な郷土料理)
(5)「洋風カツ丼」(新潟県長岡市)

今回は「カツ丼」の元祖と言われる「ソースカツ丼」についてです。

諸説、検証してみますと、元祖と言われるものは「ソースカツ丼」であり、2ヵ月後に「卵とじカツ丼」(注1)が登場したようです。

それでは、「ソースカツ丼」の考案者であります福井県出身の料理人、高畠増太郎氏について

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(ヨーロッパ軒総本店のカツ丼セット)

「ソースカツ丼の起源」

ヨーロッパ軒総本店(福井県福井市)初代社長、高畠増太郎翁(1889年(明治22年)~1977年(昭和52年))が考案したとされます。

1907年(明治40年)にドイツに渡りベルリンの「日本人倶楽部」で料理の修行。
1912年(明治45年)に6年間の修行の後、日本に帰国。
1913年(大正2年)東京で開催された料理発表会で日本人の味覚に合うように改良したウスターソース(注2)を使った「ソースカツ丼」を発表。
同年、11月28日、東京都早稲田鶴巻町(新宿区)に「ヨーロッパ軒」が誕生。(屋号はヨーロッパで修行したことに由来し、当時としてはハイカラな屋号)
文春文庫『ベスト オブ 丼』(1990年刊)の記述の中に「大正6年に『(早稲田)正門前の鶴巻町を少し行った右側』の『余りパッとしない食堂』でソースカツ丼を食べたという早稲田高等予科(当時)学生の証言もあり、また、『どんぶり探偵団』は、その食堂の主人・高畠増太郎さんの存在をつきとめている。」とあるので横須賀市に移転する直前の出来事だと考えます。
1917年(大正6年)3月、神奈川県横須賀市追浜に移転し出店。
1923年(大正12年)9月、関東大震災により店が倒壊し郷里、福井に帰郷。
1924年(大正13年)1月、総本店所在地 片町通りに「福井ヨーロッパ軒」が誕生。

ここからは、テレビマンの推測と仮説です。

疑問(1)
「ドイツ修行前に、どこで修行をしていたのか?」

若き料理人、高畠増太郎氏が郷里、福井県から何歳で上京し、何処でどのように修行していたのかは不明です。
文献によれば、「ソースカツ丼」の「カツ」と類似する料理は、1890年(明治32年)には、すでに、東京銀座の洋食屋「煉瓦亭」にフランス料理をアレンジした「カツレツ」(注3)がメニューとして出されていて、1907年(明治40年)にドイツに渡るまでの間、当然、料理人である翁は、それを食している可能性があります。

疑問(2)
「ドイツ修行中、ドイツ料理「ヴィーナー・シュニッツェル( Wiener Schnitzel)(ウィーン風子牛のヒレ肉の意)」(注4)に出会っていたのか?」

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(ヴィーナー・シュニッツェル( Wiener Schnitzel))

ドイツ修行がどのような経緯で実現したのかは定かではありません。
また、ベルリンの「日本人倶楽部」で修行中にドイツ料理「ヴィーナー・シュニッツェル( Wiener Schnitzel)(ウィーン風子牛のヒレ肉の意)」に出会っていたのかも不明です。
 しかし、当時、ドイツ料理として存在していた「ヴィーナー・シュニッツェル」を習得していてもおかしくありません。
前述の「カツレツ」と類似する料理であり、もし、この料理を習得していたとすれば、ヒントになっていた可能性はあります。

疑問(3)
「ソースカツ丼に使った「カツ」のヒントは「フランス料理のカツレツ」だったのか?それともドイツ料理「ヴィーナー・シュニッツェル」だったのか?」

日本に帰国後、料理発表会に出品した「ソースカツ丼」の「カツ」を「カツレツ」「ヴィーナー・シュニッツェル」どちらをヒントにしたのかは不明です。
文献によれば、当時の「カツレツ」はフランスの調理方法で「1890年(明治32年)に東京銀座の洋食屋「煉瓦亭」の木田元次郎氏によって日本風にアレンジされた。」とあり、「ヴィーナー・シュニッツェル」は薄い肉をさらに叩くとあるので、「カツレツ」の方が可能性は高くなります。
しかし、どちらの料理もお皿にのっているので、丼にのせるときに試行錯誤があったのでしょう。

料理人は「自分の作った料理をひとりでも多くの人に食べてもらいたい。」そして、「美味しかったよ。」と言われることが最上の喜びであると聞きます。若き料理人、高畠増太郎氏は、新しい料理方法の習得に思いを馳せて、ドイツに渡りました。
1912年(明治45年)に日本に帰国後、1913年(大正2年)11月28日に東京で「ヨーロッパ軒」を開店するまでの間、郷里、福井に居たのか?それとも東京に居たのかは不明です。ただ、洋食の料理人として活躍していたことに間違いはないと思います。
そして、料理発表会に出品した「ソースカツ丼」に辿りつくまでには、言葉では言い表すことが出来ないほどの努力があったのではないかと考えます。原形が「フランス料理」であれ「ドイツ料理」であれ、そして、丼の上にのっている「カツ」が「カツレツ(風)」であれ「ヴィーナー・シュニッツェル(風)」であれ、日本人の食のスタイルと味覚に合うように改良された「ソースカツ丼」を考案したのは高畠増太郎氏であることに間違いはありません。
今や、国民食として、又「B級グルメ」としての「カツ丼」の起源がどうであれ、遥か昔、期待と不安に胸を膨らまして料理の修業に旅立った先駆者達に思いを馳せて「カツ丼」を食するのも良いかもしれません。

 なお、「ヨーロッパ軒、総本店」では

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(特製カツ丼ソース)

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(特製極細パン粉)

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(お手軽セット(特製カツ丼ソース 180ml×4本、特製極細パン粉 200g×4袋))
の通販を行っております。
ご興味のある方は、「ヨーロッパ軒、総本店」へ。


(注1)「卵とじカツ丼」
「卵とじカツ丼の具は、玉ねぎとトンカツを割り下(出汁と醤油で作る日本料理の基本的な調味料)で煮て、溶き卵でとじたものである。
上にミツバやグリーンピースなどを散らしたり、それらを具とともに軽く煮る場合もある。1921年(大正10年)2月に早稲田高等学院の学生・中西敬二郎が考案したという説がある。玉子丼や親子丼とよく似た料理法である。」(フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より引用)

(注2)「ウスターソース」
イギリス、ロンドンの北西、約180キロのイングランド中央部に位置する「ウスターシャ地方」の「ウスター市」ではじめて作られたため地名をとって、「ウスターソース」と呼ばれるようになりました。日本には江戸時代末期に伝わり、明治維新後、西洋料理を楽しむ人々の間に少しずつ広まっていきます。(現在もイギリスでは1837年以来、秘伝のブレンド技術により、改良を重ねてきた「リーペリン(LEA&PERRINS )」のウスターソースが親しまれています。)
 ドイツ料理修行中の「高畠増太郎」氏は、この時「ウスターソース」に出会っていると考えます。文献によれば、「醤油似た色をしていたが風味が強く辛いということで日本人の口に合なかった。」ことから改良を考えていたのではないでしょうか。

(注3)「カツレツ」
カツレツ(かつれつ)とは肉などの食材に小麦粉と溶き卵を付け、パン粉をまぶし食用油で揚げた料理。西洋料理を日本で改良した洋食を特徴づける一品。豚カツ、コロッケならびに~フライとつくものはほとんどがカツレツの技法を用いている。
 cutlet(仏:Cotelette)というフランス料理の調理法を改良した。cutletは、仔牛や羊の骨付き背肉(チャップ)という意味で、薄切り肉に塩、胡椒して小麦粉とチーズ、乾燥パン粉をまぶし、ラード、サラダ油、バターを加えたもので焼き揚げるものである。日本でミラノ風カツレツとして知られるイタリア料理のコトレッタやそれと起源をおなじくするとされているウィーン名物の「ヴィーナー・シュニッツェル」も同種の料理である。
 1890年(明治32年)に東京銀座の洋食屋「煉瓦亭」の木田元次郎によってアレンジされたとされる。 煉瓦亭創業当初はフランス料理店としてスタートしたが、西洋の食材(獣肉、チーズ、バター)やスパイスが当時の日本人には馴染みが薄くあまり好まれなかった。
 そこで、日本人好みの料理を作るためcutletの肉を癖のある牛肉から豚肉に変更し、チーズの代わりに卵を用い、さらに生パン粉を初めて用い、当時人気のあった天麩羅の調理方法を真似て植物油のなかで揚げるように変えた。
 ソースは初めはデミグラスソースをかけていたが、その後辛めのウスターソースに変えた。さらにパンの代わりにライスを添えるようにもして、「ポークカツレツ」という名前で売るようになった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用)

(注4)「ヴィーナー・シュニッツェル( Wiener Schnitzel)」
Wiener Schnitzelシュニッツェル(ドイツ語:der Schnitzel, オーストリア方言:das Schnitzerl)は、ドイツ、オーストリアの肉料理。
 「ヴィーナー・シュニッツェル Wiener Schnitzel」(ウィーン風子牛のヒレ肉の意)は、北イタリアを起源として、15-16世紀ごろにウィーンに伝わったとされる。他の説によると、1857年にヨーゼフ・ラデツキー元帥により伝えられたとされる。
 一般には「子牛のカツレツ」のことといわれるが、実際には、牛肉以外に、豚肉でも鶏肉でもいい。豚の方が、向いているだろう。薄く切った肉をさらにステーキハンマーで叩き、小麦粉をたっぷりつけ、とき卵を潜らせパン粉をつける。パン粉を挽き立ての黒胡椒で味付けしておくこともある。これをやや多めのバターかラードで炒め揚げしたもので、日本の豚カツのごときたっぷりの油を使用するディープフライングではない。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用)

参考資料と掲載写真は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用しています。

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