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「文學カヲル三嶋~青春ノ太宰治~」(整理した資料から2) 南部孝一

 先日来から「取材日記」という形で、太宰治の「三島」における足跡をご紹介しています。
ここで、もう一度、確認しておかなければなならないのは、三島における太宰治の足跡について、今までなされてこなった事柄について調査し、当時の太宰治の息づかいを検証することです。

「太宰が郷里の四姉に宛てた絵葉書は、何処で投函されたのか?」

太宰は、三島滞在期間中に郷里の四姉に絵葉書を宛てています。

静岡県三島坂部武郎方より青森市浪打六二〇 小館京あて(昭和9年8月14日付)

「姉上様 こちらへ来ましてから、もう半月、たちます。勉強も、ひとまずかたづきましたから、これから毎日自転車で沼津の海岸へでも行き水を浴びようかとも考えています。ここから沼津まで約一里弱です。三島の水は冷たくて、とてもはいれません。あすから、三島大社のおまつりで、提灯をさげています。大蛇の見せ物もあるよし。」(「愛と苦悩の手紙(太宰治、亀井勝一郎編)」(「角川文庫クラシックス」より引用)

※小館京・・・太宰治(津島修治)の姉、小館貞一氏に嫁ぎました。

 実物を確認したいと調査しましたら絵葉書は「青森県立美術館」で開催された「太宰治と美術 故郷と自画像」展(2009年7月11日(土)~9月6日(日))で展示されていたようです。「青森県立美術館」のHPで発表されているプレスリリースの中には実物が掲載されていますが鮮明ではありません。

 そんな時、「本町タワービル(三島市本町)(21階建て)」の4階にある「三島市民活動センター(三島市の施設)」にて、企画展「太宰治と三島」が開催されていて、そこにレプリカが展示されていると聞き、早速、訪問しました。(今、流行の高層型分譲マンションの1階には「マックスバリュEX三島本町店」というスーパーが営業していました。羨ましい・・・)

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「本町タワービル」(2009年10月撮影)

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「マックスバリュEX三島本町店(マックスバリュ東海(株))」(2009年10月撮影)

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「三島市民活動センター内」(2009年10月撮影)

 その絵葉書は「ふるさと歴史文学コーナー」のひとつ「太宰治と三島」に設けられた陳列ケースに拡大した状態でパネルにしてありました。消印は「三島」となっています。

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「企画展「太宰治と三島」のコーナー」(2009年10月撮影)

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「絵葉書の拡大されたレプリカ」(2009年10月撮影)

それでは、一体、この絵葉書はどこで投函されたのでしょうか?


 昭和9年(1934年)当時の「旧東海道沿い(三島市川原ヶ谷付近~三嶋大社~伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅間)」の商店街の現況を調査しましたが、現在のところ見つかっていません。
 そこで、昭和12年(1937年)12月に「三島商業学校(現、三島南高等学校)」の生徒が調査した「六反田、大中、小中、久保町商店街」の復元地図を見てみると、太宰が滞在していた「坂部支店(三島市寿町)」から一番近かったのは「大中島郵便局(現在は、 21階建てのビル本町タワー(本町)」ですが、そこから「三嶋大社」方面に歩いて約200mのところに、本局の「三島郵便局(現在は、三島市役所中央町別館(中央町)同建物には三島中央町郵便局が同居しています)」があります。

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「六反田、大中、小中、久保町商店街 地図(昭和12年12月)(現、広小路から本町まで)」(「三島アメニティ大百科」(グラウンドワ-ク三島編集)(「大通り商店街今昔」P217~P218掲載の地図を筆者が個人名を修正して引用)

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「六反田、大中、小中、久保町商店街 地図(昭和12年12月)(現、本町から中央町まで)」(「三島アメニティ大百科」(グラウンドワ-ク三島編集)(「大通り商店街今昔」P217~P218掲載の地図を筆者が個人名を修正して引用)

 しかし、愛子さんの証言によると「坂部支店」では、お酒の他に切手も扱っていたということなので、滞在費用がなかった太宰は、当然、切手(1銭5厘)を貰い近くの郵便ポストに投函したとも考えられます。このことについては、引き続き調査していきます。

 これは余談になりますが、昭和9年当時の郵便ポストは「丸形庇付(ひさしつき)ポスト」だったようです。

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「静岡市清水区八木間町」(「週刊丸ポスト」HPより引用)

「丸形庇付(ひさしつき)ポスト」

「1901年に登場し試験的に設置された「俵谷式ポスト」「中村式ポスト」が最初の丸型ポストで、材質は鋳鉄。1908年10月、雨よけのために差出口に回転板を取り付けた「回転式ポスト」として制式化された。1912年には、可動部分の故障が多いなどの理由から、回転板を廃し雨よけの庇をつけた「丸型庇付ポスト」が登場し、丸型ポストとしての完成形がほぼ成立した。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用)

ちなみに、昭和9年(1934年頃)の物価は、

「牛乳7銭、コーヒー15銭、ラーメン10銭、そば10銭、映画50銭、銭湯7銭、封書3銭、ハガキ1銭5厘、新聞(1ヶ月)90銭、レコード1円20銭、週刊誌13銭」 だったようです。


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