fc2ブログ
kurobe.jpg
「黒部の太陽」(1968年、日活)

昨年の「マンションの耐震強度偽装問題」や、先日来の「ライブドア・ショック」。ある意味、異常とも言える状況の中で、テレビゲーム感覚でマネーゲームに奔走する人々。今や、日本経済の主流が「ものづくり」から「マネーゲーム」へと移行しています。そして、2007年、日本経済を支えてきた「団塊の世代」が定年を迎えるという「2007年問題」を前に、もう一度、日本人の「情熱」と「誇り」について考えてみました。
 今回、「このテーマに一番当てはまる作品は何だろうか?」、まず、はじめに浮かんだのが映画「黒部の太陽」です。(あらすじは下記資料を参照してください。)

kurobe-1.jpg
(テレビ朝日「裕次郎、最期の真実」2003年6月18日(水)放送より)

 今回、コラムを執筆するにあたり、映画の資料が無く、テレビ朝日開局45周年記念特別番組「石原裕次郎十七回忌スペシャル・裕次郎最期の真実 」(2003年6月18日放送)を参照しました。
番組の内容は、番組前半では映画「黒部の太陽」の熱血!制作秘話を紹介。後半は今だから明かす壮絶な闘病生活など、その他、北野たけしさん・石原慎太郎さん・渡哲也さんなどが思い出話を語る。ドキュメンタリータッチのものでした。
その中で、関西電力顧問(元会長)(放送当時)「小林庄一郎」さんが、「敢然と闘い抜く男らしさが当時の高度成長期にマッチした。」「今、失われつつある日本人の男らしさへの郷愁。」など印象に残るひとことを言っています。
 NHKで放送されていた「プロジェクトX」でも高度経済成長時代の日本の技術者たちのドラマを数多く放送していましてが、この「黒部ダムのプロジェクト」も紹介していました。まさしく「ものづくり」に人生を捧げた人たちがそこにはいたのです。

kurobe-2.jpg
(テレビ朝日「裕次郎、最期の真実」2003年6月18日(水)放送より)

 しかし、テレビマンは、戦後の激動の時代に学生運動に参加した訳でもなく高度成長時代に仕事をした訳でもありません。ですから、実体験がないままに「テレビ」や「映画」そして「書籍」などの資料で擬似体験するしか方法がありません。そのような意味からも、今回、この作品をご紹介いたしました。
 共感して、ひとりでも多くの人に作品を観てもらいたいところですが、この作品は、生前の(故)石原裕次郎さんの意向により「映画館などの巨大なスクリーンで鑑賞して貰きたい。」という理由で、現在も「テレビ放映」や「DVD化」にはなっていません。でも、こんな、時期だからこそ、このような作品が必要なんじゃないかと?」とテレビマンは思うのです。当時活躍した団塊の世代が迎えるであろう高齢化社会を前に、わたしたちはもう一度、「日本経済の有り方」を考える時期に来ているような気がします。
 作品に関連して、映画の原作になった「黒部の太陽」と映画を監督した熊井 啓さんの「黒部の太陽、ミフネと裕次郎」をご紹介しておきます。

この映画は、2003年7月9・10・11日に品川プリンスシネマにて特別上映会が行われました。(「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」、番組内で特別上映会の応募要項を告知していました。)


作品資料

「黒部の太陽」
あらすじ
関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣社長(滝沢)総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。岩岡剛(石原)はトンネル掘りのためにはどんな犠牲も省みない父に反抗し、家を出て設計技師として図面をひいていた。しかし父の様子を見に黒部に行った剛は、現場責任者・北川(三船)の熱意にほだされ、めっきり体の弱くなった父の替わりにトンネル掘りの指揮を取ることになった。工事が進むにつれ犠牲者は増え、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。色々な技術プランが検討されたが工事は一向に進まなかった。太田垣はあらゆる手を尽くして危機を乗り切る為莫大な金を投入、技術陣の科学的な処置と、北川や剛らの努力が実を結び、難所を突破。昭和三十八年三月、黒四ダムは完成した。

制作/三船プロ・石原プロ
公開年月日/昭和43年2月17日
監督/熊井 啓
原作/木本正次
脚本/井手雅人、熊井 啓
撮影/金宇満司
音楽/黛 敏郎

主な出演者/
三船敏郎、滝沢 修、志村 喬
辰巳柳太郎、宇野重吉、二谷英明
芦田伸介、佐野周二

石原プロモーションHPより引用しました。



スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://terebi.blog38.fc2.com/tb.php/62-24deb419